満月通信のテーマとして頻度の高い「イライラ」について。
まだまだ解説しきれていない内容がありますので、2回にわたってこのテーマでお届けいたします。
「どうやったってイライラなんて消せるわけない!」と思っている方も、ぜひこの2回のコラムで「あなたのイライラの正体」を暴いてください。
「イライラ」と「ストレス」はイコールではありませんが、相関関係は高いですよね。大部分が重なっていると言えます。
風水的・スピリチュアル的に「イライラ」が体内周波数(波動)を下げて、運気を上げにくくしていることは何度もお伝えしてきました。そして、医学的にも「ストレス」が免疫力を下げて、様々な病気を引き起こすことがわかっていますね。
イライラせずに過ごすことができれば、それだけで人生が大幅に改善されて、豊かになると言い切れます。
そもそも、なぜ「イライラ」するのか。
これは精神科の論文などでも頻繁に解説されていることですが、
■いつもと違うことが起こる
そのうえ、
■自分でコントロールできない
この連続した2つの事象を経て、初めて「イライラ」が成立するのです。
いつもと同じ。
想定内のこと。
本来あるべきだと思っている状態。
そんなときは「イライラ」しませんよね。
でも、いつもとは違うことが起こったとき。「イラッ」とします。でもまだ「イライラ」ではありません。瞬間的に起こる感情=「イラッ」です。
「イラッ」は人間が身を守るために備わっている「生命センサー」です。ですから、反応をしてもいいんです。人間ですから。
しかしその「イラッ」を、あなたは続けることに決めました。そう、自分から「イライラすること」にしたんです。
なぜ「イライラ」を続けることにしたのか。それは、
■自分でコントロールできない
からなんです。「ボールが相手側」にあって「自分では解決できない状態」だからです。
すぐに解決できるなら、瞬間的に「イラッ」としても「何らかの行動」「何らかの新しい思考」で芽を摘み取りますから「イライラ」を続けることができません。
ボールが相手側にあるから「イライラ」が続いてしまうんです。
・なんで電車の中なのに、携帯で話をしているわけ?
(ボールは携帯で話しをしている人のところ)
・なんでこんなときに渋滞が起こるわけ?
(ボールは渋滞を作った原因の事故など)
・レストランでは子供を静かにさせておくべきじゃないの?
(ボールはその子供と保護者のところ)
・この部長の話は長いなぁ、あ~もう・・・
(ボールは部長のところ)
などなど。
相手側にある「ボール」の行方を、ただただ「無力のまま」経過観察しているだけしかできません。
■自分でコントロールできない = つまり「無力」です。
風水的・スピリチュアル的に言えば「イライラ」した状態は「気が過去に残っている」と考えます。運気を最も良い状態にする「現在」に「気」が置かれていません。
ある「イラッとする出来事」が起こった時点、始まった時点で「心の時間」がそこで止まってしまっています。いつまでもその「イラッとする出来事」を引きずって、頭の中で繰り返している状態です。
出来事が起こった「次の瞬間」から、もうその出来事は「過去」です。
しかし心はその「過去」に残して、ひっかかったままで、粘るから「イライラ」が続くわけです。
なぜいつまでも過去のそのポイントに残って「粘る」のか。
それは「損」をしたくないからです。「イライラ」をやめて「現在」に戻ってきてしまうと「イラッ」とした損を、そのまま認めて受け入れたと思ってしまうんです。いつもと違うことが起こって「イラッ」とさせられて「損」をしたのに、それを解決するまで粘らないと「損」をしたままになってしまう・・・
勝手に「損」をさせられるなんて嫌だ・・・ 粘って、取り返したい。
そういう「プライドや正義感」が潜在意識の中で自動的に発動します。(ちなみに「粘ること」=「執着」です)
もちろん、
・注意をしてやめさせる
・違う道を使う
・店を変える
・反論する
など、すぐに何らかの「解決策」がとれるのであれば「ボールは自分」に戻ります。「無力」から再び「有力化」できますから、「イライラ」は解決できる可能性が高まります。権力や地位があったり、様々な手段をもっていたりして「有力化」できる人は、他の人よりも「イライラ」を解消しやすいということなります。
しかし「暴力」「暴言」「パワハラ」といった「強行手段」を使って、無理やりコントロールする”残念な人”もいらっしゃいます。もちろんそれは「最悪の手段」です。その場では解決するかもしれませんが、自分の体内周波数は「直滑降」です。(実は親が子供に「しつけ」のつもりで怒ったり、怒鳴ったりしているのも多くは「親のパワハラ」です・・・)
「イラッ」としたあと、すぐに何らかの「解決策」がない場合。
基本的に「ボールは相手」にあって自分は「無力」なのですから、解決策がないケースのほうが多いわけです。
解決策がなく、無力のまま観察するしかないのに、プライドや正義感が粘らせます。だから「イライラ」は解決せず続くのです。
これが「イライラ」の発生メカニズムです。
まずは発生メカニズムを知っておきましょう。
知っただけでも、大幅に「イライラ」を解消できたケースがたくさんあるんです。
ここでもう1度、最初の定義を振り返ります。「イライラ」の成立定義は、
■いつもと違うことが起こる
そのうえ、
■自分でコントロールできない
でした。
神経質だったり、完璧主義だったりすると「いつもこうあるべき」の定義が厳格になります。
いつも「あなたの思っている本来の状態」であれば心は穏やかですが、ちょっとでも定義の範囲からはみ出すとすぐに、
・いつもと違う
・想定外
・本来あるべき状態ではない
ということになって「イライラ」の準備段階である最初の生命反応=「イラッ」が登場します。
「こうあるべき」
というこだわり(=執着)が強い人は、それだけ「イラッ」のスイッチが入りやすいわけです。
ここで権力や地位、もしくは解決策をたくさんもっている人であれば「イライラ」に移る前に解決できます。しかし「ボールが相手側」にあったままで「無力」な状態だと、
「イライラ」を続けることに決定!
ってしちゃうんですね。
ちなみに、普段は神経質でも完璧主義でもなくても「体調が悪い」場合は「こうあるべき」の「定義範囲」が狭くなりがちですから、普段よりも生命反応「イラッ」が登場しやすくなります。ですからコンディションを整えることは、「イライラ」を起こさせないための基本ということになりますね。
人生で様々な経験を積めば、最初の生命反応=「イラッ」は減っていくものです。
・この出来事は、前にもあったけど、実はたいしたことはなかったな・・・
・あ~、こういうこと言う人、前にもいたなぁ・・・
というちょっとした「心の処理」の「成功体験」によって、生命反応=「イラッ」のスイッチは押されにくくなります。
年齢とともに「人として丸くなった」と言われるケースが多いですが、これは
「いつもと違うこと」
「想定外のこと」
が何度も何度も起こって、次第に、
まあ「いつものことだな」
まあ「想定できるレベルだな」
まあ「いろんなやつがいるもんだ」
まあ「なにか事情があるんだろうな」
と「許容範囲」が拡大したからです。「心の器」「人間の器」が大きくなったとも言えますね。
ですから、今回のコラムの「1番目のポイント」は、
・いつもと違う
・想定外
・本来あるべき状態ではない
と頭の中で決めている「枠」を可能な限り大きくすることです。
「枠」が狭いままで「枠外」のことが起こる度に、「イライラ」していたら、身体がもちませんよね。
いちいち「イライラ」
いつも「イライラ」
イライラするのは勝手ですけど。
「イライラ」していて、自然に問題が解決したことって、ありました?
子供のときはあったかもしれません。機嫌を悪くしていたら、ママが助けてくれたり。
でも、社会に出てからは「イライラ」してたら、自然と思い通りになることのほうが少ないです。
なぜなら「イライラ」は
■自分でコントロールできない
という状態でしたから「自分にボールがない」わけです。ボールは相手側が握っている。つまり「無力」。
つまり私は「無力」でどうすることもできないから「イライラ」するくらいしかできないんですよ、とわざわざ「弱者アピール」しているようなイメージです。
そう思うとなんとも悲しい姿ですよね。
ときには騒いでいる子供の親を睨みつけて、解決することもあるかもしれませんが、確率は結構低いですし、結構疲労します。「イライラ・アピール」はあまり効率的な手段ではなさそうです。
では、どうやって「ボール」を自分に戻すか。自分でこの状態をコントロールするか。
そこが「2番目のポイント」となります。
・なんで電車の中なのに、携帯で話をしているわけ?
・なんでこんなときに渋滞が起こるわけ?
・レストランでは子供を静かにさせておくべきじゃないの?
・この部長の話は長いなぁ、まったく・・・
これを、強硬手段を使わずに「自分のボール」にできるの? できます。でも簡単ではありません。
それはつまり「我慢する」ということですか? → いいえ。
ときどき「我慢」をして、そのあとカラオケやスポーツ、お酒、買い物、やけ食いなどで「ストレス発散」をするという人がいます。
「我慢力」をつけることこそが「人間の器」であるかのように感じている人が多いのですが、それは間違いです。
「我慢」すれば確かにその場では水面下に抑えこむことができるかもしれませんが、ただ単に感情を隠しているだけに過ぎません。
なぜなら「我慢」しただけでは「ボールはまだ相手側にある」からです。
「イライラ」を水面下に隠して収まったように思えても、見えない「ストレス」として残り続けてしまいます。
ですから「我慢」や「忍耐」だけでは幸福にはなれません。
大切なのは「ボールを自分に戻す」ということです。それについては次回のコラムで解説しますね。(え~!次回なの! ちょっとイライラ・・・)←p.s.なぜイライラしたか。(練習問題)
・結論を速やかに伝える「べき」だと(自分の価値観で)思っているから。
・早く結論を知りたいのにじらされたみたい(=自分の時間ペースを乱されたみたい)だから。
→でもコラムを配信するという「ボール」は相手にある。(コントロール下にない)→結論「イライラ」
話が脱線しましたが、まずは今回のコラムでは「1番目のポイント」
・いつもと違う
・想定外
・本来あるべき状態ではない
と頭の中で決めている「枠」を大きくするために、自分の「イライラ」を総点検してください。
自分はどんなときに「イライラ」しているのか。それを表に出してみないことには対策がとれません。
「あ~、私はこういうときにイライラしてたんだ」
「こういうこと言われるとイライラが長引くんだ」
わかっているようで、結構、気が付いていないものです。
・子供が言うことを聞かないから?
(ボールは子供にあって自分は無力)
・夫が身勝手で協力してくれないから?
(ボールは夫にあって自分は無力)
・毎日の通勤が満員電車で、たびたび遅延するから?
(ボールは鉄道会社や他の乗客にあって自分は無力)
・スマホをトイレに落としてしまった自分の不甲斐なさに対して?
(ボールは勝手に作り上げた「できる自分像」にあって、本当の自分は無力)
※実は「自分はこうあるべき(自分像)」という思考は「人からどう見られたいか」「人からどう評価されたいか」という意識対象=「他人」のほうにボールがあると解釈します(つまり「自分に対してイライラする」というのも「ボール」は自分のところにはありません)
このようにまずは自分の「イライラ」を表に出してみるだけでも、冷静に分析ができて「許容範囲」が広がっていきます。
もちろん「許容範囲」を大きくして「人間の器」「心の器」が育ってきても、無尽蔵に大きくなるわけではありません。
大抵のことは「想定内」になったけど、それでもさらに「想定外」のことが起こるのが人生です。
最終目標は「想定外」のことが起こっても「イライラ」しないで済む「心」を手に入れることです。
その第一段階として、
自分の「イライラ」を総点検して「イライラの原因」と「そのボールの場所」を明確にしてください。
その上で次回のコラム(ボールを自分に戻す方法)を読んでいただくと、「イライラ」から解放された自由な人生に近づきます。
(続く)